だが岸氏がやってきたことは、本来の意味での保守とは正反対のことばかりである。戦前、岸氏は「革新官僚」の筆頭とされ、商工省(経済産業省の前身)において国家統制を全面に押し出した経済政策を推進していた。岸氏と対立した阪急電鉄の創始者である小林一三氏が、岸氏について「あれはアカ(共産主義者)だ」と手厳しく批判したことは有名な話である。
実業家出身の大臣であった小林氏にしてみれば、インフラをすべて国家が統制すべきという岸氏の主張は、マルクス主義にしか聞こえなかったに違いない。日本社会においては、理論よりも情緒の方が優先されるので、保守的な主張とマルクス主義的な経済政策が両立してしまうというのはよくある話なのだ。
所得再分配を社会主義とは定義しない方がよい 保守思想とラジカルな思想が同居することは欧米でも見られる現象だが、少なくとも両者の違いについては認識されているように思われる。ナチス・ドイツは、国家主導のインフラ建設や価格統制など社会主義的な政策を次々と実施したが、ナチスの党名は「国家社会主義ドイツ労働者党」であり、少なくとも社会主義的政党であることは自覚していた。
日中戦争以降の日本では、岸氏のような官僚と軍部の主導で同様の統制経済が実施されたが、本人たちに社会主義的な政策を実施しているというイデオロギー的自覚があったのかは甚だ疑問だ(単純に旧ソ連の計画経済を応用したくらいの感覚しかなかった可能性が高い)。
自由主義・資本主義社会における所得の再配分と、基本インフラを国家主導で管理することには雲泥の差があり、両者を混同することは議論を混乱させるだけである。少なくとも所得の再分配政策を社会主義的であると批判するのはやめた方がよいだろう。